悲しいルミナリエ、キレイなルミナリエ
こんにちは!
Personal Universe時代を切り開いていく清水です。
今、私は福岡在住ですが、出身は兵庫県神戸市です。
この時期になると神戸ではルミナリエがはじまります。
ルミナリエという名前は、みなさん一度ぐらい聞いたことがあるかと思いますが、ルミナリエは1995年に起こった阪神淡路大震災の復興を願い、はじまりました。
この時期になると多くの観光客が集まります。
1995年からはじまり、早25年。
はじまった5歳から25歳まで神戸に住んでいたけど
私は友達と一回しかルミナリエは見たことがない。
この震災で母方の祖父母を亡くした。
最初にルミナリエがはじまった時に母に
「ルミナリエに行きたい」
と言ったら
「悲しい気持ちになるから、行きたくない。」
と言われた。
今でも覚えている。
周りの友達は家族と行ったと聞いて
「キレイだったで」と感想を言い合っていた。
その中で私は「ふーん」としか言いようがなかった。
同じものを見ているのに母と友達とで印象が違う。
母も悲しい気持ちになんてならなくて良いのに
なんでその気持ちを選択するのだろうか?
と、だんだん煩わしくなったのも事実。
自分が行きたいのに行けない不満をため込んでいた。
友達と私と母との間で、どんな違いが生まれてしまったのだろうか?
その違いを理解することは無理だったんだろうか?
私と母と、もっと言えば人間同士が分かり合えない
根本原因には何があったのだろうか?
それがわかれば、当時の私の母に対する対応や交流は変わっていったのがあると思う。
その問題点はどのようなものだろうか?
深めていきたいです。
本日も読んでくださり、ありがとうございます。
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